マーティン・ファクラー著 「本当のこと」を伝えない日本の新聞 【書評】

マーティン・ファクラー著 「本当のこと」を伝えない日本の新聞 を読んだので、内容を大雑把に紹介します。

その時、ニューヨーク・タイムズ日本支局のファクラー記者は、何を考えどこを目指し、どう動いたのか?2011年3月11日午後2時46分に東日本大震災の地震が起きたとき、ファクラー記者は東京にいたそうです。未曾有の大災害が生じたことがわかり、彼は直ちに被災地に向かい、精力的に取材を行いました。日本の新聞記者たちが訪れないようなところを訪ね、被害にあった人たちの生活を世界に向けて発信したのでした。とっさのときに、ジャーナリストたるもの、どう考え、どう動くのかのルポルタージュになっているのが第1章です。

第2章では、あまりにも奇異すぎて英語に相当する訳語がないという、「記者クラブ」を分析します。メルトダウン、SPEEDI、民主党代表小沢一郎たたき、オリンパス外国人社長の電撃解任などを例に挙げて、記者クラブを中心とする日本のジャーナリズムが政府の犬になっている状況を厳しく指摘します。

第3章では、企業のプレスリリースの受け売りしかしない日経新聞などを例に取り上げて、権力との距離のとりかたを誤って、べったりと権力に寄り添って記事作りを行う日本の新聞のおかしさを指摘しています。対比するものとして、ニューヨークタイムズがどのようにして紙面を作っているのかも紹介されます。日本の新聞を辛辣に批判する著者ですが、実はニューヨークタイムズ紙も実は過去にひどい過ちを犯していることを紹介し、特に、剽窃・捏造の常習犯だった記者、政権との距離感を間違えて、イラクの大量殺戮兵器保有を大々的に宣伝することになった記者の例を挙げています。

第4章では、ジャーナリストという職業が本来どういうものであるかの持論を述べます。日本ではトップの大学の卒業生がそれぞれ官庁や新聞社に就職することから、価値観を共有していることが癒着につながるのではないかという仮説を提唱します。また、自分の体験を交えながら、アメリカではジャーナリストがどうやってキャリアを積んでいくのかを紹介します。日本では科学記者は新聞社に就職したサラリーマンですが、アメリカでは新聞社に勤めるサラリーマンという意識はまったくなくて、ジャーナリストという職業に就いているという個人の意識が強いそうです。実際、会社は数年ごとに渡り歩いています。

第5章では、インターネットの普及に伴って新聞社がどう変わっていくべきかを論じます。ブログやソーシャルネットワーキングサービスとの関係、マネタイズの仕組みをどうデザインしているのかというネット戦略について。最後に、日本に全国紙があるのとは対照的に、アメリカにはもとももと地方紙しかないということを指摘します。ニューヨークタイムズにしてももともと地方紙に過ぎずそれが、全国へと販路を広げたわけです。ン本でも、地方新聞社のほうが、インターネットテクノロジーの大きな変革期にフットワーク軽くいろいろなことにチャレンジできて、大きな活躍ができるのではないかとなど提言を行い、日本の新聞業界にエールを送って本書を締めています。

新聞は本来、権力の監視を行う機能を担うべきなのに、日本においてはそのようなジャーナリズムが存在しておらず、むしろ権力にとって都合のいい広報局になってしまっているというのが、本書の主張です。日頃、新聞の報道姿勢に疑問を抱いているひと、あるいは、新聞が報道する内容に今まで疑問を抱いたことが無かった人が読めば、真実が伝えられない報道のカラクリがわかって面白いと思います。ジャーナリストという職業に興味がある人はとっては、ジャーナリストとして生きるということがどういうことなのかを教えてくれる格好の手引きとなる本です。

 


マーティン・ファクラー著「本当のこと」を伝えない日本の新聞 (双葉新書) 双葉社 2012年