学校教育はいかにあるべきか?様々な教育理論が提唱され実践されてきました。
注入主義教授法
先生が生徒に一方的に知識を与え、生徒がそれを記憶させられる教育形態。いわゆる詰め込み教育。
開発主義教授法
生徒が直接経験し、学習活動を行うことにより様々な能力を開発するもの。ペスタロッチ主義に基づく。日本では高嶺秀夫らに導入された。注入主義教授法に対比される。
動的教授法
生徒実験法
発見学習法
学習すべきことを、教師の説明によって教わるのでなく、学習者が自らの発見によって学習していく学習法。 ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』で体系的に提起。問題発見能力の育成,内発的動機づけ,発見の仕方の学習,記憶の保持を特徴とし,課題の把握,仮説の設定,仮説の精錬,仮説の検証,まとめ,という過程によって構成される。 (コトバンク)
創造主義教育
ドルトン・プラン (the Dalton Plan) (またはダルトン・プラン)
1920年代にアメリカのマサチューセッツ州のドルトンの小学校においてヘレン・パーカーストにより指導・実施された教育指導法。生徒は、教師と自分の立てた学習計画を元に一種の契約をする。1ヵ月間にどの科目をどこまで学習を進めるかという契約で、コントラクト (Contract) と呼ぶ。国語、算数、理科、社会それぞれの教科ごとに箱に分けられ、学習問題に対する答えや教師への質問を記入するカードが用意されている。生徒は毎日、学習の進行に合わせて、自分で該当するカードを取り出して自習する。教師に提出して合格するとポイントがもらえる。ポイントはクレジット (Credit) と呼ばれ、教室の後ろの壁に貼ってある学習進度表 (Room Graph) の自分の升目をポイントごとに指定された色で塗りつぶしていく。教師はそれを見て、だれが順調に学習を進めているかすぐに見て判断できる。学習は個別化され、それぞれの能力や資質に応じてデザインすることができる。日本では1922年、大正自由教育運動の末期に導入された。しかし昭和に入り、ドルトン・プランは教師の手抜きであり、生徒の学力低下を招き進学に不利である等の批判から日本の教育の表舞台から排除された。〔ウィキペディア)
労作主義(労作教育)
19世紀末から 20世紀にかけてドイツを中心に展開された教育実践運動。児童生徒の身体的活動を中心とする手工的作業を重視する教育。 。 (コトバンク)
ヘルバルトの五段階教授法
19世紀後半のドイツで、ヘルバルト派に属する人々によって主張された教授理論。ヘルバルト派のライン(Wilhelm Rein 1847―1929)が5段階:1「予備」既有の観念の整理、2「提示」新教材の提示、3「比較」新旧の比較、4「総括」新旧を体系化、5「応用」知識の応用の5段階を踏む教授法を提案。日本に1890年代に導入された。
生活単元学習法
学習内容を子供の興味に基づいて単元としてまとめ,生きた学力を形成しようとするもの。第2次世界大戦後の日本の新しい教育の理念と方法として採用され,生活単元学習や超教科的なコア・カリキュラム運動として広く展開された。その後,自然科学教育面における学力の低下が指摘され,歯止めがかけられたが,知識と生活を結び付けた生きた学習を成立させるという単元学習の理念は今に続く。(コトバンク)
問題解決学習法(Problem-Solving-Learning。または課題解決型学習 PBL、Project-Based Learning)
アメリカの教育学者のジョン・デューイの学習理論。学習を能動的なものと規定し、知識の暗記にみられる受動的なものを脱却し、自ら問題を発見し解決していく能力を身につけていく。デューイは、マックマスター大学の付属の実験学校において、社会科の授業の中で初めて「問題解決学習」を試みた。教師が予め準備した授業案に従って学習するのではなく、与えられたテーマ(たとえば「私たちの町」というテーマ)について、個々の生徒が平素、疑問に思っていることについて、それぞれそれはどうしてだろう?と考え、その仮説が理にかなうかどうか、自分たちの足や頭、インタビューや実地調査をして確認していく。もし外れているなら、また新しい仮説として立ててみる。その悪戦苦闘を繰り返す、試行錯誤のプロセスの中に、学習の目的があるし、またその過程そのものが学習といってもいい、とデューイは考えた。すなわち、最終的に答え・正しい解決に到達したかどうかよりも、むしろその過程を重要視する。教師が準備し、設計したステップを踏んで学んでいく系統学習ではなく、生徒自身の自発性、関心、能動的な姿勢から、自ら体験的に学んでいく努力の価値を評価する。課題解決学習という言い方をすることもある。そうした学習方法のひとつの具体例として、生徒自らが問題を作り、解くというものがある。PBLの起源は1960~70年代北アメリカでの医学教育にさかのぼるとされている。(ウィキペディア)
系統学習法
知識、科学、技術などの体系化された教授内容を、一定の筋道に従って習得させる学習指導法。子供の自発的な発展や経験の成長を教育と考える立場とは対立する。第二次世界大戦後、日本では、デューイらの経験主義教育理論にたつ問題解決学習が、新教育の中心理論として採用された。しかし子供の興味・関心や身近な生活経験を重視するあまり、現実適応主義に陥り、また基礎学力が低下するなどの問題点が指摘されるなかで、科学的知識の系統的教授を重視する系統学習として提唱された。(コトバンク)
プログラム学習
いっせい授業のもとでは,学級の多くの生徒は教師の講義を真に理解していない場合が少なくない。プログラム学習とは,このようないつせい授業の効率の悪さに対する反省の上に立つて,ひとりひとりの生徒に学習を成立させることを目標として生み出された新しい教育方法である。この方法は学習者に学習のプログラムを示し,それに従ってひとりひとりが,その能力差,個人差に応じてそれぞれの早さで,あるいはそれぞれ異なった過程をふみながら学習していくことをその特色としている。プログラムは単純な問題(ステップ)に分析し,児童生徒の能力に応じてそのステップの解答,訂正を継続していくことによって学習事項を理解されるようにつくられているものである。このプログラムは,いわゆるティーチンダマシンによって提示される。したがつて,プログラム学習は,次にみる語学ラボラトリーとともに人と機械との一体化(機械による自己学習)ということが特徴である。こういうプログラム学習の研究が始められたのはアメリカにおいてであるが,全米教育協会の調査によると,1956年当時には,授業の一部にこれを採用していた学校は,小学校,中等学校ともわずか5%にすぎなかつたのが,1961年には,小学校15%,中等学校13%に増加し,2~3年後には約半分の初等・中等学校が,プログラム学習を採用するにいたるであろうと予想されている。わが国では,1960年にプログラム学習とティーチングマシンが紹介され,それ以来,その研究が始まり指導方法や使用する機械についていろいろなくふうが試みられている。(文部科学省)
反転授業
授業と宿題の役割を「反転」させる授業形態。通常は授業中に生徒へ講義を行い知識を伝達し,授業外で既習内容の復習を行い,学んだ知識の定着を促す。これに対し,反転授業では自宅で講義ビデオなどのデジタル教材を使って学び,授業に先立って知識の習得を済ませる。そして教室では講義の代わりに,学んだ知識の確認やディスカッション,問題解決学習などの協同学習により,学んだ知識を「使うことで学ぶ」活動を行う。このような授業形態を導入することで,生徒の学習意欲を向上させて知識の定着を促し,落ちこぼれを防ぐなどの効果が期待されている。反転授業のような授業形態のアイデア自体は2000年頃から提案されており,生徒が自宅でマルチメディア教材を使って学び,教室でグループ学習を行うような教育実践が行われてきた2)。また,反転授業を行うにあたり教室で行われるディスカッションや問題解決学習などの活動は,協同学習の手法としてすでに確立しており,教育現場において広く導入されている。反転授業は2010年頃から欧米を中心に注目を集めるようになったが3),この普及を後押ししたのがデジタル教材の普及と,教室外におけるICTの整備である。(反転授業 ICTによる教育改革の進展 情報管理 Vol. 56 (2013) No. 10 P 677-684)
アクティブ・ラーニング
教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。(文科省 用語集)
仮説実験授業
1963年(昭和38年)に板倉聖宣が提唱した科学の基本的概念や原理的な法則を教授するために開発された授業理論。教科書と学習指導案の機能を兼ね備えた「授業書」により授業を進める。授業書には予め問題と選択肢が用意されており、学習者はその選択肢に基づいて実験結果を予想する。さらに、複数の学習者がその予想を話し合った上で実験に臨み、実験結果と仮説を比較検討する。このプロセスを繰り返すことにより、学習者が概念・法則を獲得するに至るとする。(ウィキペディア)
参考
- 仮説実験授業のABC 103ページ