正義について

正義についての考え方 自分の人生とのバランスのとり方について参考になることが書いていたので、紹介します。『人蕩し術』という本の173~174ページにかけてです。ここに書かれていたことは非常に深いと思います。今までこのようにはっきり言葉にされているものには出会ったことがありません。社会の不正を暴くジャーナリストがよく暗殺されますが(国によっては)、まさにこういうことなのかと思いました。

もちろん、正しいことがこの世の中で行われることは必要不可欠なことで、それはまったく当たり前のことです。しかし私が思うには、正しいことは、なるべく目立たないように、自らが行うべきもので、声高らかに他人に向かって主張すると、危険が身に及んでくると思うのです。それはなぜかというと、その相手の自己重要感を傷つけるからなのです。もし、あなたが魅力ある人になろうと思ったら、ぜひとも次の言葉を記憶する必要があります。それは、「人は自分の不正を指摘されることを好まない」ということです。正義は不言実行型が望ましく、間違っても有限不実行型になってはいけません。また、言うことも言うが、やることもちゃんとやっているという有言実行型もあまり好ましくないのです。なぜなら、この場合の有言は、「相手を正そうとしている」からなのです。とにかく直接的説得では、人は動かないものです。そして福徳円満な人はそのことをよく知っています。そのゆえに、相手を、また世の中を直接的に矯正しようとはしません。むしろ、そういう相手に対しては、まずあきらめてかかるのです。これは換言すれば、まず相手を、あるがままに受け入れる、ということです。といって、そのまますべてをあきらめてしまうわけではなく、その後ずっと、相手の変容を期待し続けるのです。ただし、その期待は、いつも表層意識上において思い続けるということではありません。潜在意識の中にインプットして、それを暖めておく、ということです。そしてときおり、そのインプットを繰り返すのです。すなわち、それはアラヤ識とともに暮らすということに他なりません