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写像の定義、部分写像、行先がない元の存在

単射の定義を読んでいて、理解しようとしていたときに生じた疑問なのですが、行先が同じになる元がないというときに、そもそも行先が存在していない元があってもいいのか?がわからなくて悩みました。単射の定義を読み返しても、x1, x2∈Xが、x1≠ x2 ならf(x1)≠ f(x2)のときfは単射としか書いていなくて、この場合、写像の行先が存在しないこともノットイコールとみなせるのかなと悩んだわけです。

  1. 写像というのは、定義域に含まれる全ての元の行き先が存在していないと写像とは呼べないのですか?(YAHOO!JAPAN知恵袋 tjo********さん 2013/8/8 23:16

ネットでも自分と同じ疑問を持った人がいました。それに対する解答は、行先がない元がある場合には写像とは呼ばないとのこと。すべてではない場合には、「部分写像」と呼ぶのだそうです。部分写像という言葉は初めて知りました。自分が読んだ集合の本にはどれにも出てこなかったので。

  1. 部分写像(ウィキペディア

そこで改めて写像の定義を読み返してみたら、集合Xの各要素x∈Xに対して集合Yの要素f(x)∈Yが対応しているとき、その対応fを集合XからYへの写像という。と説明されていました。「各」要素とちゃんと書いてあって、なるほど数学って穴がなくてちゃんとしてるなと感心しました。