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糸井 重里 著『インターネット的』(PHP文庫2014年)を読んで

糸井 重里氏の『インターネット的』は、インターネットを論じているのだけれども、インターネットについてはほとんど触れられていなくて、コンテンツ、すなわち人間について書かれたエッセイ。人間の心って全然変わらないから、文庫化される前のオリジナルが2001年の執筆だというのに、16年経った今読んでも内容にまったく古びたところがない。

さすが言葉のプロだなあと思うのは、言葉の運びかたの上手さ。面白い漫才や落語を見ているような感じで読み進んでしまう。コピーライターのエッセイだから、モノを売ること買うことの話も深くて、いろいろ気付かされたり、納得させられたり、共感を覚えたりすることが多々ある。

最後のページに、「ほぼ日」を読んでねというストレートなメッセージがあって、自分は「ほぼ日」を10年以上見に行ったことはなかったのだが、PCでアクセスしてしまった。さすが、買わせるのが商売だけあって、糸井重里さんが本一冊分の言葉を使って、人を動かせないわけがない。

でもやっぱり「ほぼ日」は自分には見にくくて、すぐに閉じた。細い帯状の白い部分に文章がずらずらと縦に伸びていって、ああこれはスマホでみるように特化しているのねと思った。自分はPCでネットをするので、すまほ対応のレイアウトになっている「ほぼ日」は見る気がしない。いまどき、「インターネット」=「スマホ」なのかもしれない。

そもそも人のブログなんて、始まりを終わりもなく延々と続いているので、時間がもったいないのであまり見ない。テレビと同じで時間がもったいないから。その点、本はいい。始まりがあって終わりがある。ふつうは、どうやって始めてどうやって終わるか、まとめるかを作家は考えながら書いているだろうから、きちんと流れに乗っていける。読み終わったら、「ああ、読み終わった。」と思って、みかんを食べたり、コーヒーを淹れたりして一服することもできる。これがブログだと、もしも、どの記事を読んでも面白いのであれば、みかんを食べながらPCにかじりついたり、コーヒーをすすりながら見ることになろう。それは自分の望む生活スタイルではない。とりとめもなく書いてしまったが、それもまた、「インターネット的」。

「ほぼ日」を毎日見にいきたいというファンには自分はならないと思うけれども、この『インターネット的』という本は、数年後にまた読み返してみたいと思うかもしれない。自分が生きていくうえで大切にしたい「感覚」や「気持ち」を、この本を読むことで再確認できるから。