小平邦彦 編 『新・数学の学び方』 (岩波書店 2015年 ISBN978-4-00-005470-6) は、1987年に刊行された『数学の学び方』の8人の数学者のエッセイに、あらたに5人の数学者のエッセイを加えたものです。旧版の8人は、小平邦彦、小松彦三郎、飯高茂、岩堀長慶、田村一郎、服部昌夫、河田敬義、藤田宏。新版で加わった5人は、深谷賢治、斉藤毅、河東泰之、宮岡洋一、小林俊行。
大学に入学して数学の授業が始まると、先生が板書するのをひたすらノートに書き写すだけで考える暇もなく、しかも進み方のあまりの速さに圧倒されてしまう学生が多いと思います。大学における数学の授業の正しい受け方とはどのようなものなのでしょうか?河東泰之氏が、学生向けに、非常に具体的な指針を与えています。以下、新入生に役立ちそうな部分を抜粋して引用します。大学の授業とはこういうものなのだと事前に知って、心の準備をしておくだけでもだいぶ違うのではないでしょうか。
- 数学の講義は進度が大変速いことが多いのでまずこの対応策から説明しよう。一番最初に言うべきことは、数学を理解するにのには多大の時間がかかるということである。ざっと聞いたり、ぱらぱらと本を読んだりしてきちんとわかるなどということはめったにない。そもそも大学における単位数とは1時間の講義につき、2時間の予習・復習をするということで計算されているのである。そして数学の講義についてはこのくらいの時間は最低限度でしかない。
- 大学入試の準備では、数学いはたいていの人はかなりの時間をかけているはずで、授業をちょっと聞いただけでできるようになるなどという人はめったにいない。しかしなぜか大学の数学では講義を聞いただけでほとんど放置している人が少なくない。それではきちんと理解できるようになることが期待できないのは当然である。量的に言っても大学1年生が1年間で習う数学の量は高校数学の1年分よりはるかに多い。数学科の2年生や3年生で習う科目の内容はさらに量が多い。簡単にはわからないのは当然である。
- 数学は論理の学問であるから、まず講義で行われた証明や計算、例などについて論理的に100%理解しなければならない。しかしこの点について考えの甘い人がすくなくない。「○○の定理によって××がわかる」と言われたら、○○の定理の内容は何か、本当にその定理の仮定は満たされているのか、本当にその定理から××という結論が導かれるのかは最低限確認しなければならない。しかしそのような議論を完全にフォローすることは容易ではない。徹底的によく考えてこれらの点をクリアして論理的に隙がない状態で次週の講義に臨まなくてはならない。このことに多大な時間がかかるのが普通である。
- どうしてもよくわからなければ、何がわからないのかを明確にしたうえで、先生に聞く、友達と相談する、本を調べるなどの対策が考えられる。
- 徹底して講義の内容を理解しようとしてみると、そもそもその前の段階のことがよくわかっていないために理解できないということもよくあるであろう。その場合は前に戻って徹底的にやり直すしかない。基礎的なことがわかっていないのにその先のことがわかるはずはないので、どんなに時間がかかっても前のところから勉強し直すしか道はない。
- 数学の講義では大量の板書があるので、速くてついていけない、ノートを取るのも追いつかないという話もよく聞く。私が教えたときにも、明らかに今書いているところよりずっと前の説明のノートを取っている人たちがいた。しかし先生は重要なポイントを言葉と文字で説明しているのであるから、今話しているとろこを聞いて、今書いているところを見なければ講義の効果は激減し、人のノートをただ写しているのと大して変わりない状態になってしまう。いっそのこと聞くことに集中して簡単なメモを取るくらいにとどめて、ノートは誰かに後から写させてもらうことにした方がまだましである。
- とりあえず論理的なフォローができたとしよう。まだまだわかったという状態には程遠い。基本的な定義や定理のステートメントは何も見ないですらすらと書けなければならない。
- さらに次の段階として意味を深く理解することが必要である。なぜこのように定義するのか、なぜこのような定理が成り立つのか、なぜこのような仮定がついているのか、なぜこのような方針で証明するのか、といったことである。
- 理解を深めるために演習問題は大変重要である。高校数学では問題演習ばかりやっているようなもので、それはそれで理論的側面がおそろそかになりがちなのだが、大学になると演習の機会が激減してしまうのが残念なことである。問題演習が重要なことはいくら言っても強調しすぎることはない。
- どのような情報でも、正しさや価値を自分で判断する能力というのは大変重要である。教科書が間違っていることに対して到底許されないことのように反応する人がときどきいるが、そのような態度では(学界の中でも外でも)社会で生きていくのが難しいであろう。
- 高校数学では解くのに1時間かかる問題というのはかなりの難問であろうが、大学の数学では大した長さではない。まして研究では1時間でできる問題など問題のうちに入らない。
- 数学書を読むのはとても時間がかかるものである。本当に理解したいと思ったら1冊読むのに1年かかっても何も不思議はない。やはり論理をきちっとフォローするということが第一歩である。この部分で手を抜いてはまったく何も身につかない。しかしこれがなかなか困難である。○○だから××である、と書いてあってもなぜ○○なのか、なぜ○○であると××になるのかちっともわからないということはよくある。
- どうしてもわからなければ、とれいあえずそこを飛ばして先に進むということもやむを得ないであろう。ただし自分が○○の証明を飛ばしているということは明確に理解しておくことが必要だし、あとでどこかで○○の証明を理解したほうがよいとは思うが、いずれにせよ、こうやって飛ばす部分が次々累積するようではさすがにその本を読み続けるのは無理である。その場合には自分はその本に合っていない、あるいはまだ読めるだけのレベルに達していないと考えるしかない。
- ノートやメモを見ないで発表する利点はたくさんある。第一はもちろん、よくわかっていなくては発表できないということである。たとえば中学生に連立方程式の解き方を聞かれたら何も見ないですぐに説明できるであろう。それがわかっているということである。自分の発表でもそのような状態になるまで準備しなくてはならない。そうできるようになるための良い方針は、すべての定義や証明を何も見ないでノートに書いてみることである。最初すぐには書けないだろうが、書けない場合は何が欠けているのか、自力で再現できないかを真剣に考え、どうしてもできなければ本を見る。これを繰り返せば何も見ないで発表できるようになる。