数学的帰納法は高校何年生で学ぶ?
自分がいつ数学的帰納法を授業で習ったのかは忘れてしまいましたし、指導要領が変わって学ぶ学年が変わったりもするようです。ネットの記事から推察するに、高校2年生の時に習うんですかね。
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- 「数学的帰納法」は「絵しりとり」と一緒!? 2023年11月22日 びらとり義経塾 数学的帰納法は高校2年生で習います。
- 【数B】数学的帰納法のポイント すうじょうさん 2020年7月14日 高校生以上の方なら、数学的帰納法という証明方法を習ったのではないでしょうか。昔は、数学Aで習うことになっていたみたいですが、今は数学Bの数列の単元で習うことになっています。
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数学的帰納法とは
自然数に関する命題があったときに、n=1でその命題が成り立つことを示し、sらに、n=kで成り立つならばn=k+1でも成り立つことを示すことにより、自然数全体で成り立つと結論するのが数学的帰納法です。n=1で成り立ち、k=1とすればn=2でも成り立ち、k=2とすればn=3でも成り立ち、・・・、以下同様にもっと大きい数に関してもずーっと成り立つよねというわけです。
例えば、
1 + 3+ … +(2n-1)=n^2
を数学的帰納法で証明せよ
といった問題があります。
n=1 なら n^2=1なので上の式は成り立っています。
例えばn=2 の時も調べると、1+ 3 = 4 = 2^2 で成り立っています。n=3のときは、 1+3+5=9=3^2なのでやはり成り立っています。これをえんえん続けてもきりがないので、n=kのときに成り立つと仮定したときにn=k+1でも成り立つことを示そうというわけです。
1+3+…+(2k-1)=k^2が成り立つと仮定します。するとn=k+1のときの左辺は、
1+3+…+(2k-1)+(2(k+1)-1)=k^2+(2(k+1)-1)=k^2+2k+1=(k+1)^2 となり、k+1のときに右辺の式になりましたので、n=k+1でも成り立つということが言えました。よって、数学的帰納法により、nが全ての自然数で成り立つと言えます。
数学的帰納法が納得できる?納得できない?
自分は、高校のとき数学的帰納法の説明を聞いて、そりゃそうだよなとしか思いませんでした。納得できないというよりも逆に、巧妙な論法で面白いなと思ったものです。
- 数学的帰納法の指導についての二,三の提言(PDF jstage.jst.go.jp) 間瀬友典 日本数学教育会雑誌第72巻 第3号(1990年) 基礎解析の全国での履修率(履修生徒/生徒数)は,56.6%であり 数学I,基礎解析の48項目を対象 にして… よくわかったから5…全然わからなか ったまでを主観的に選ぶことにより生徒の理解しにく い項目を調べる最近のアンケートにおいても,数学的帰納法は上位を占めている
数学的帰納法がなぜ成り立つのか
大学の数学では、自然数とは何か?そうやって自然数を構成するかといったことを学ぶわけですが、そこで登場するのがペアノの公理です。これらの公理を満たすものを自然数と呼びましょうと数学者のペアノさんが提案したんですね(実際には、ペアノの公理を満たすものは多数存在するので、満たすようなものが一つ定まるように自然数を構成する)。5個からなる公理のセットですが、この公理において、「自然数」、「の後者」、「0」を無定義語(つまり、説明せずに使う言葉)として使われています。
ペアノの公理(参照:『数学でつまずくのはなぜか』)
- 公理1 0は自然数である
- 公理2 任意の自然数の後者は、また自然数である。
- 公理3 自然数xの後者と自然数yの後者が一致するなら、x=yである。
- 公理4 0はどの自然数の後者でもない。
- 公理5 ある性質が0に対して成立し、また、その性質を持つ任意の自然数のその後者に対しても成立するならば、その性質はすべての自然数について成立する。
ここでペアノの公理のうちの5番目の公理が、まさに数学的帰納法になっています。つまり、数学的帰納法はなぜ成り立つのか?という疑問に対する答えは、「数学的帰納法が成り立つような集合を自然数としましょうとしたのだから、成り立つのだ」ということになります。この説明だと、ますます納得がいかない人が出てきそうですね。
公理は、出発点となる前提であり、無条件に受け入れるものなので、無条件に受け入れないといけないのですが、そうするとなぜ?という疑問が解消されません。そもそもなぜそれを公理においたのかといえば、それを公理とすることで広く、物事がすっきりと説明できるからなわけです。公理を出発点とする場合には、それを公理とすることがなるほど合理的だと思えれば、それでよいのではないかと思います。
ペアノの公理は、『数学でつまずくのはなぜか』の本ではわかりやすい日本語で説明されていましたが、同じことをもう少し数学的な表現をすると:
ペアノの公理(参照:『集合・写像・数の体系』
集合Xに関する以下の5項目をペアノの公理と呼ぶ:
公理1 $ e \in X $ (集合Xの元eが存在するということ)
公理2 写像φ: X → X が与えられている
公理3 写像φは単射である。つまり x≠y →φ(x)≠ φ(y)
公理4 $ e \notin X $ (すべての$ x \in X $に対してφ(x)≠ e ということ)
公理5 部分集合$ S \subseteq X $ が、$ x \in S $ および $ x \in S \Rightarrow \phi (x) \in S $ をみたせば、 $ S=X $
ペアノの公理を満たすような集合Xが存在すること、そのような集合を一つだけになるように構成できることに関しては、また別の話題になります。