吉本ばなな『下北沢について』との遭遇
吉本ばななの本は、昔、『キッチン』を読んで、そのなんてことない日本語のスムーズさに驚いた記憶がある。ブックオフに行って100円~200円のコーナーを物色していたら、吉本ばなな『下北沢について』が目について、冒頭部分を読み始めたら、やはりあまりにも自然な日本語遣いにスルスルと読み進んでしまった。
吉本ばなな『下北沢について』の購入
ブックオフは古本屋だけど置いてある本はたいていきれいである。日本の古本屋はたいていどこでもそうだが。装丁のカバーの部分の上下の縁がよれってるのはしかたあるまい。それ以外は、本当にきれいなものである。本を開くと紙面から受ける印象は新品と変わらない。そんなわけで、『下北沢について』と、以前図書館で借りて読んで気に行っていた、見城徹の『たった一人の熱狂』と、こんど仕事でプレゼンがあるので対策を練るためにと、『スティーブ・ジョブズの驚異のプレゼン』の3冊をまとめ買いした。200円x3冊=600円である。著者には申し訳ない買い方だけど、自分が手元に置いておきたい本がこんな小さなお金で入手できてしまう、ブックオフというシステムは自分にとってはアマゾンに匹敵するくらいの驚異的なシステムである。
吉本ばななと同じにおいのする人たち
そんなわけで家に帰り、落ち着いて、その先を読み進めた。しかしこの吉本ばななの日本語の読みやすさって何だろうと考えた。きちんと説明があるから、まず情景が目に浮かぶ。自分が体験しているように感じることができる。そして、こまかい感情の動きが描写されていて、それが多分自分もそう感じるだろうなあという同類のものを著者に感じるのである。ふと見たら、吉本ばなな『下北沢について』は幻冬舎から出ていて、発行者として見城徹の名が見える。どうも同じ「におい」の人たちに自分は惹かれるのだろう。
吉本ばななのエッセイの魅力の正体
さて、なぜ吉本ばななのなんてことない日常生活を綴ったエッセイを自分が読みたいと思うのかと考えてみたら、自分が日常生活で感じるなんてことない感情の生成や消滅を見事に言葉にあらわしているからだということに気付いた。自分が普段生きていて大事にしたいと思っているちょっとした感情だったりを、なかなか言語化するのが難しい心の機微を、彼女は実にうまいこと日本語にしてくれていたのである。自分が大切にしているものを、彼女も大切にしていて、それをきっちりと言葉で表現してくれているから、読んでいてうれしいし安心が得られるし、本を手に持つことで満足感があるのである。
電子書籍で紙の本は駆逐されない
この本は表紙のイラストも不思議な感じで、やっぱり今どきのキンドルとかの電子書籍ではなくて、ちゃんと紙の本としてこの世に存在する必要があったのだと思う。本には装幀というものがあり、表紙のイラストや、文字のフォントや、紙質や、紙の色や、字の大きさと周りのスペースとのバランスや、いろいろな要素が本を作り上げている。もちろん中身が一番大事なのだけれども、本を所有する喜びをぐっと高めてくれるのは装幀まで込めての全体としての本である。電子書籍には、本を所有する喜びはまったく存在しないから、紙の本は永久に不滅だと思う。
作家が受け取るべき正当な対価
ブックオフの価格シールは絶妙にできていて、丁寧に剥がすと跡形を残さずにきれいに剥がすことができる。ブックオフ200円のシールをつけっぱなしにしておくのはみっともないので、貧乏くさく格安で買ったという申し訳なさの記録としてそのままにしておくべきかという葛藤もあったのだが、やはり剥がすことにした。その下に現れた定価は、1400円だった。自分は大人になって世の中がモノやサービスとお金のやり取りで成り立っているということを理解する以前は、1円でも安くものを買うのが賢い生き方だと思い込んできた。子供の頃、家計のやりくりが大変だった母は、近くのスーパーのチラシを見比べて1円でも安いほうで買い物するべく、労を惜しまずに東へ西へと自転車で出かけていっていたから、それを見て育ったせいだろう。大人になった今では、必ずしもそうも思わなくなった。そうは言っても、自分の購買欲のままに新品の本を定価で買いまくると破産するので、ブックオフにはこれからも足繁く通うことになるとは思う。ただ、吉本ばなな『下北沢について』を定価1400円でなんでもなく買えるくらいの経済力を早く身に付けたいものだと思った。