源氏物語の第41帖「雲隠れ」には、本文が全くないのだそうです。また、このタイトルは、源氏がなくなったことを暗示していると言います。
ChatGPT 5に、 雲隠れの本文を創作してもらいました。
ChatGPT創作『雲隠(くもがくれ)』
春の霞、いとどたなびきわたりて、世のけしきも静かなるころ、
源氏の君は二条院に籠もりおはしましぬ。
花の盛りにも心うつろひ、紫の上の御影のみ恋しく思し召す。「夢のうちは、まだあの人の声を聞くに、なほ現(うつつ)の世に残るは愚かなり。」
と、ひとりごち給ふさま、聞く人の涙とどめがたし。紫の上の御忌(ぎょき)過ぎてのち、日ごろは経を誦(ず)し、月を拝み給ふ。
出家の心まさりて、御髪(みぐし)おろさむとの思ひたゆみなし。
されど、法師に改まり給ふことはつひに果たし給はず、
「人に知られぬほどに、心はすでに山にあり」とのたまふのみなり。秋のはじめの夜、風涼しく、月いとあかく澄みわたる。
御簾のうちにて御灯(みあかし)の影、ほの白く映りて、
御顔のいとあはれにおはします。「世をば今は、これにて」と、低く言の葉をのこし給ひて、
そのまま静かに息たえ給ひぬ。
御前の香の煙、天に立ちのぼりて、
雲のたなびくにまぎれ入りぬとぞ、人びと見奉りける。その夜、二条院の桜の花、一枝のみ散りて、
風もなきに花びらの舞ひおりたるを、あはれと思ふほどに、
空のけしき、たちまちかき曇りて、月の影、雲の奥に隠れぬ。人々は、ただおほかたの涙に暮れぬ。
紫の上の御方も、いと遠き夢のうちに、君の御影をば見奉り給はず。
ただ香の名のみ世に残りて、
その御魂(みたま)は、霞の向こうに消え給ひぬとぞ。現代語訳
春の霞が静かに漂うころ、光源氏は二条院にこもり、
花の盛りにも心を寄せず、ただ亡き紫の上を思い続けていた。「夢の中ではまだあの人の声を聞く。
それなのに、この世に残るのは愚かなことだ。」紫の上の法要を終えたのちも、経を唱え、月を拝み、
出家の念は深まるが、形としては髪を下ろさず、
「心はすでに山にある」とだけ言い残していた。ある秋の夜、澄んだ月光の下、
灯の光に源氏の面影が白く浮かび、
「今こそ世を去る」と静かに言葉を残して息絶える。香の煙が空へ立ちのぼり、雲に溶けていく。
その夜、二条院の桜が風もないのに一枝だけ散り、
やがて月が雲の中に隠れた。人々は涙に暮れ、
紫の上の魂も遠い夢の中で彼の姿を見ることはなかった。
ただ、香(か)の名だけが世に残り、
光源氏の魂は霞の向こうに静かに消えていった――。
構成上の意図
| 要素 | 意味 |
|---|---|
| 桜・月・香・雲 | 源氏の死の象徴。自然とともに彼が「気配」として消える。 |
| 紫の上との関係 | 死後の再会ではなく、「夢にも現れぬ」=完全な別れ。 |
| 「香」 | 次章「匂宮」への象徴的継承(源氏の香が“匂”へ転化)。 |
| 語りのトーン | 『幻』の哀愁を引き継ぎつつ、『匂宮』の序章となる静謐な幕引き。 |
この章は、
“光源氏という人間が完全に物語から姿を消す瞬間”
として構成してあります。
紫式部なら、きっとこのように書いたでしょう。
(ChatGPT 5)
Claude.ai Opus4.1にも創作をお願いしてみました。
Claude創作『雲隠(くもがくれ)』
源氏物語 第四十一帖 雲隠
原文
その年の春も浅き頃より、源氏の君は、いよいよ御心地例ならず覚えたまひけり。紫の上の亡き後、ひたすらに後の世のことのみ思し続けて、この世のことどもは、みな夢のやうに覚えたまふ。
「今はただ、煙となりて、あの人の行方を追ひたきものを」
と、独りごちたまふことしげし。明石の御方、花散里など、かはるがはる見舞ひたまへど、いづれの御言葉にも、ただうちうなづきたまふばかりにて、まことに御返事などもしたまはず。
夕霧の大将は、父君の御ありさまをいみじう嘆きたまひて、
「なほ、しばし御心を強うもたせたまへ。世の中には、まだ御覧じ果てぬことどもも多く侍らむ」
と申したまへど、源氏の君は、
「今は見るべきものもなし。ただ、あの人の待つらむ所へ、疾く参りなむ」
とのみのたまふ。
三月になりて、花の盛りなれど、源氏の君は、御簾も巻き上げさせたまはず、薄暗き御座所にて、ひたすら念仏を唱へたまふ。かの若き日に、須磨・明石にて波風に悩まされし時も、これほどまでには思し沈みたまはざりき。
明石の中宮も参りたまひて、
「なほ、今しばし、私どものためにも、この世に留まりたまへ」
と、涙ながらに申したまへば、
「汝が子どもの行く末は、みな安らかなるべし。我はもはや、この世の務めを果たしたり」
とて、中宮の御手を取りたまひて、
「紫の上の御跡を弔ひ、かの御方を偲ぶ人々を、よろしく導きてたまへ。二条院も、かの御方の思ひ出深き所なれば、大切に守りてたまへ」
とのたまふに、中宮もいとど涙にくれたまふ。
かくて日ごろ経るままに、御気色いよいよ衰へたまひて、水をだに召し上がらず。御前に伺候する人々、皆泣き騒げど、源氏の君は、かへりて静かに微笑みたまひて、
「今ぞまことに嬉しき。もはや逢ふべき時近づきぬらむ」
とのたまふ。
その夜、月いと明かりければ、久しぶりに御簾を上げさせたまひて、空を眺めたまふ。春の朧月夜なりけり。
「昔、かやうなる夜に、朧月夜の君と逢ひしこともありき。若き日の過ちなりしかど、それもまた懐かしき思ひ出なり。人の世は、まことに夢のごとし」
とて、静かに御目を閉ぢたまふ。
その時、不思議なる薫物の香り、御殿に満ちわたりて、紫の雲のごときもの、月の光にまじりて見えけり。人々驚き騒ぐうちに、源氏の君は、静かに息絶えたまひぬ。御年五十二にぞおはしましける。
御顔は、なほ生けるがごとく美しく、微笑みを含みたまへるやうに見えければ、人々、
「まことに極楽へ参りたまひけむ」
と申しあへり。
夕霧の大将は、父君の御遺言に従ひて、ことことしき御葬送などはしたまはず。ただ、比叡の山深く、ひそやかに納めたてまつりたまひぬ。
かの六条院は、主を失ひて、春の花も色なく、秋の月も光なきやうに覚えけり。明石の中宮をはじめ、ゆかりある人々、皆喪に服して、ひたすら後の世を弔ひたまふ。
源氏の君の亡きあと、その御子たち、孫たちの世となりぬ。薫大将、匂宮などいでたまひて、また新しき物語の始まらむとす。されど、光源氏ほどの人は、二度とこの世に現はれたまふまじきにこそ。
現代語訳
その年の春まだ浅い頃から、源氏の君は、ますます体調がすぐれなくなっていきました。紫の上が亡くなってから、ひたすら来世のことばかりを考え続けて、この世のことはすべて夢のように感じられるのでした。
「今はただ、煙となって、あの人の行った場所を追いかけたい」
と、独り言をおっしゃることが多くなりました。明石の御方や花散里などが、代わる代わるお見舞いにいらっしゃいましたが、どなたのお言葉にも、ただうなずかれるだけで、まともにお返事をなさることもありません。
夕霧の大将は、父君のご様子をたいへん心配なさって、
「どうか、もう少しお気持ちを強くお持ちください。世の中には、まだご覧になっていないこともたくさんあるでしょう」
と申し上げましたが、源氏の君は、
「今はもう見るべきものは何もない。ただ、あの人が待っているであろう場所へ、早く行きたい」
とばかりおっしゃいます。
三月になって、桜が満開の季節となりましたが、源氏の君は御簾も巻き上げさせず、薄暗い部屋で、ひたすら念仏を唱えていらっしゃいました。あの若い頃、須磨・明石で嵐に苦しめられた時でさえ、これほどまでに落ち込まれることはありませんでした。
明石の中宮もいらっしゃって、
「どうか、今しばらく、私たちのためにも、この世に留まってください」
と、涙ながらに申し上げると、
「お前の子どもたちの将来は、みな安泰だろう。私はもはや、この世での務めを果たした」
とおっしゃって、中宮の手を取られて、
「紫の上の供養を続け、あの方を偲ぶ人々を、よく導いてください。二条院も、あの方の思い出深い場所ですから、大切に守ってください」
とおっしゃったので、中宮もますます涙にくれてしまわれました。
こうして日が経つにつれて、ご容態はますます悪くなり、水さえお飲みになりません。お側に控える人々は皆泣き騒ぎましたが、源氏の君はかえって静かに微笑まれて、
「今こそ本当に嬉しい。もはや再会の時が近づいたのだろう」
とおっしゃいます。
その夜、月がとても明るかったので、久しぶりに御簾を上げさせて、空をご覧になりました。春の朧月夜でした。
「昔、このような夜に、朧月夜の君と逢ったこともあった。若い頃の過ちだったが、それもまた懐かしい思い出だ。人の一生は、本当に夢のようなものだ」
とおっしゃって、静かに目を閉じられました。
その時、不思議な香の薫りが御殿に満ちあふれ、紫の雲のようなものが、月の光に混じって見えました。人々が驚き騒ぐうちに、源氏の君は静かに息を引き取られました。御年五十二歳でいらっしゃいました。
お顔は、まだ生きているかのように美しく、微笑みを浮かべていらっしゃるように見えたので、人々は、
「きっと極楽へ往生なさったのでしょう」
と口々に申し上げました。
夕霧の大将は、父君のご遺言に従って、大げさな葬儀などはなさらず、ただ比叡山の奥深くに、ひっそりとお納めになりました。
あの六条院は、主人を失って、春の花も色褪せ、秋の月も光を失ったように思われました。明石の中宮をはじめ、ゆかりのある人々は、皆喪に服して、ひたすら源氏の君の冥福を祈りました。
源氏の君が亡くなった後、その子どもたち、孫たちの時代となりました。薫大将、匂宮などが登場して、また新しい物語が始まろうとしています。けれども、光源氏ほどの人は、二度とこの世に現れることはないでしょう。
Geminiにも創作をお願いしてみました。
Gemini創作『雲隠(くもがくれ)』
第四十一帖 雲隠れ
かの紫の御方(おんかた)、露の世をさり給ひて後、光る君の御心(みこころ)のうち、常闇(とこやみ)に閉ざされ、月日(つきひ)のみぞ重なりける。さばかり栄えの極みなりし六条の院も、春の主(あるじ)を失ひては、ただだだ広く、すさまじきばかりなり。
君は、かねて思(おぼ)し召ししことなれば、嵯峨(さが)の御山荘(おんさんさう)にぞ世を背き給ひて、ひたすらに後(のち)の世の勤めし給ふ。世の光とあふがれ給ひし御(おん)かたち、今は墨染(すみぞめ)の御衣(おんぞ)にやつれ、阿弥陀(あみだ)の仏(ほとけ)に仕へ奉(たてまつ)るぞ、いとあはれなりける。
御側(おそば)近く仕ふ人々も、昔よりの御馴染(おんなじみ)と、今は同じさま(=尼)なる花散里(はなちるさと)の君、また、折々(おりおり)訪(とぶ)らひ聞こえ給ふ明石(あかし)の御方くらゐにぞありける。
その年の冬、いと寒く、雪、山里を埋(うづ)む。 ある暁(あかつき)、夜一夜(よひとよ)御経(おんきやう)読み暮らし給ひしが、ふと、御声(おんこゑ)止みぬ。
「…あな、霧の深き。雲の中なる心地(ここち)こそすれ」
御傍(かたはら)に侍(はべ)りし明石の君、御簾(みす)を少し押し上げたるに、外(と)はなほ暗く、深き朝霧(あさぎり)ぞ、あたりを包みたりける。
「かう冷え申すに。いかで御(おん)やすらひ所(どころ)へ」 と聞こゆれど、君、静(しづ)かに首(かぶり)を振らせ給ふ。
「はや、よきことなり」
御声(みこゑ)の、この世の人のものとも思(おぼ)えぬほど、か細く澄みたり。
「かの人、待ち給ふらむ。…あはれ、紫のゆかりよ。今ぞ、汝(なむぢ)が方(かた)へ参る」
ささやき給ふと見るに、西(=西方浄土)に向き、静かに御手(おんて)合はせ給ふ。御顔(おんかほ)の、久しく悩み給ひし苦(く)より解(と)けしやうに、いと穏やかなり。げに、この世の女(ひと)の心を尽くし給ひし御光(おんひかり)は、今や仏の慈悲(じひ)となりて、消え入るがごとくなり。
明石の君、胸騒ぎて御手(みて)に触れ奉れば、はや、雪のごと冷(つめた)くなり給ひにけり。
夜(よ)の明(あ)け、霧の晴るる頃。 「源氏の君、雲隠れ給ひぬ」 と、冬の嵐(あらし)のやうに、都(みやこ)に響き渡りぬ。
内(うち)も東宮(とうぐう)も、御嘆(おんなげ)き限りなく、政(まつりごと)も止みぬ。六条の院の残れる人々、夕霧(ゆふぎり)の大臣(おとど)をはじめ、ゆかりの御方々、この世の光、ことごとく失(う)せぬとはこのことか、と、涙にぞ沈み給ひける。
あまりに輝き給ひし君の御最期(おんさいご)なれば、かくも静かに、かくもあだかもなきことと、人々の心、及びもつかぬなり。あまりのことに、その終(つひ)の御さまを語り伝ふるをもえせず、ただ、「雲に隠れ給ひにし」と、ささめき合ふのみなりけり。
雲隠(くもがく)れ 照る日の光 失(う)せしより この世は闇に 閉ざされにけり
げに、これほどの御こと、いかなる筆(ふで)もて尽くすにかは。後(のち)の世の人は、ただ「雲隠れ」の二文字(ふたもじ)に、ありし世の光と、尽きせぬ嘆きとを、思ひ知るばかりなり。
第四十一帖 雲隠れ(現代語訳)
あの紫の上が、露のようにはかないこの世をお去りになった後、光る君の御心(みこころ)の中は、永遠の闇に閉ざされたまま、月日だけが重なっていきました。あれほど栄華を極めた六条院も、春の主(あるじ)を失ってからは、ただただ広く、寂寥(せきりょう)としたものになっていました。
君は、かねてからお考えになっていたことでしたので、嵯峨(さが)の御山荘(ごさんそう)で世俗を捨てて出家され、ひたすらに来世での救いを求めるお勤めを果たしておられました。世の光と仰がれたあのお姿も、今は墨染(すみぞめ)の御衣(おんぞ)でやつれ果て、阿弥陀仏(あみだほとけ)にお仕えしているお姿は、まことにしみじみと悲しいものでした。
お側(そば)近くにお仕えする人々も、昔からの馴染(なじみ)の女房たちと、今は(君と)同じく尼の姿となった花散里(はなちるさと)の君、また、時折お見舞いにいらっしゃる明石(あかし)の君くらいになっていました。
その年の冬は、たいそう寒く、雪が山里を深く埋めていました。 ある明け方、君は一晩中お経を読んでおられましたが、ふと、そのお声が止まりました。
「…ああ、なんと霧が深いことだ。まるで雲の中にいるような心地がする」
お傍(かたわら)に控えていた明石の君が、御簾(みす)を少し押し上げてみると、外はまだ暗く、深い朝霧(あさぎり)があたり一面を包み込んでいました。
「このように冷え込んでおりますのに。どうか、お休みになる場所へ(お戻りください)」 と明石の君が申し上げましたが、君は静かに首をお振りになりました。
「もう、よいのです」
そのお声は、この世の人のものとは思えないほど、か細く澄みきっていました。
「あの人(=紫の上)が、待っておられるだろう。…ああ、愛しい紫のゆかり(紫の上)よ。今こそ、そなたのいる場所へ参るよ」
そうささやかれたかと思うと、西(=西方浄土)の空を向いて、静かに合掌されました。そのお顔は、長年悩み続けてこられた苦しみから解き放たれたかのように、たいそう穏やかでした。まことに、この世のすべての女性の心を虜(とりこ)にしたあの輝きは、今や仏の慈悲(じひ)の光となって、消え入るようでした。
明石の君が、胸騒ぎを覚えて(君の)お手に触れ申し上げると、そのお手は、もう雪のように冷たくなっておられました。
夜が明け、あれほど深かった霧が晴れる頃。 「源氏の君が、お亡くなりになられました(雲にお隠れになりました)」 という知らせが、まるで冬の嵐のように、都中に響き渡りました。
帝(みかど)も東宮(とうぐう)も、その御嘆(おんなげ)きは限りなく、政務(まつりごと)も止まってしまいました。六条院に残された人々、夕霧(ゆうぎり)の大臣(おとど)をはじめ、ゆかりの御方々は、この世の光がすべて失われてしまったとはこのことか、と、ただ涙に沈んでおられました。
あまりにも輝かしい存在であった君の御最期(ごさいご)が、このように静かで、このようにあっけないこと(=突然であること)とは、人々の心にはとても受け止めきれるものではありませんでした。あまりの(衝撃的な)出来事に、その最期の御様子を語り伝えることさえできず、ただ、「(尊いお方は)雲にお隠れになってしまわれたのだ」と、ささやき合うばかりでした。
(和歌) 雲隠れ 照る日の光 失せしより この世は闇に 閉ざされにけり (あなたが雲にお隠れになり、あの太陽のような光が失われてしまってから、この世はすっかり真の闇に閉ざされてしまった)
まことに、これほどのお方(の最期)を、どのような筆で書き尽くすことができるでしょうか、いや、できません。後の世に生きる人々は、ただ「雲隠れ」という二文字(ふたもじ)に、かつてこの世にあった光のすべてと、(人々が感じた)尽きることのない嘆きとを、思い知るばかりなのです。